暮らし全般を担当する暮らし統括班に所属し、主に社会面をつくっています。昔は社会部と読んでいました。編集局内でも担当範囲が広く、暮らし、社会に関わることすべてが取材対象となります。プロ野球阪神がセ・リーグ優勝した時は県内の阪神ファンの動向を取材したり、世界で何かが起きた時は沖縄に影響がないかなどを取材したりします。さまざまなアンテナを常に張らないといけません。 また沖縄で忘れてはならないのは沖縄戦です。沖縄戦の特徴として、国内で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われたことや住民による「集団自決」(強制集団死)、日本兵による住民虐殺などが挙げられます。戦争は人が人でなくなります。 「軍隊は住民を守らない」など、県民の中では常識だった沖縄戦の実相が揺らいでいます。ここ最近、政治家や一般市民から「日本兵は住民を守りに来た」「連合国軍総司令部(GHQ)に洗脳されている」などの意見があります。そういった声が主に交流サイト(SNS)で広まっており、メディアは今、正念場を迎えていると言えます。デマ・誤情報が多い中で、メディアは正しい情報を発信しなければなりません。 報道では公平性を常に意識しています。政府と一般市民との間で対立事項があった場合、権力のある政府と権力のない一般市民の真ん中に立つことが中立と言えるでしょうか。力のない人たちに寄り添うことが中立であり公平ではないでしょうか。沖縄の新聞社にとって、県民に寄り添うことが意義のあることだと思います。常に力のない人たちに寄り添うことを心がけています。 仕事のやりがいは、記事を書くことで社会がより良くなることです。那覇市担当記者だった時に印象的なことがありました。人事院勧告に基づいて自治体職員の給与は引き上げられた際に、会計年度任用職員は引き上げに伴う遡及(そきゅう)の対象外になっていました。記事で問題提起やほかの自治体の事例を紹介したことで、市議会や労働組合なども動いて市が支給に至りました。報道を通じて社会に横たわる問題を提起、あるいは可視化することで社会を変えていく醍醐味がありました。 新聞記者は情報を取って書くのが仕事ですが、その情報を取るのが大変です。情報は人を傷つけることもあります。記者が得た情報は記者個人や新聞社だけのもではなく読者、県民のものです。しかし、情報を出すことで人を傷つけることもあります。入手した情報をどのように表に出すか気を使うことも多々あります。一方である情報を得ても、その信頼性を確かめる裏取りができず、すぐには表に出せないこともあります。捜査関係者などへの取材では、取材相手との信頼関係で情報源を明かさないことも大切になります。