琉球新報社の入社当日は元号「令和」発表の時で、最初の仕事がその号外配りだったのが印象的でした。最初は編集局の経済担当部署で2年間、農林水産分野を担当しました。その後は中部支社の中部報道で3年間、沖縄市や嘉手納町などを担当しました。中部は米軍基地関係の取材で振り回されましたが、支社はアットホームな感じでとても楽しかったですよ。 2024年から沖縄県政の記者で、現在は基地関係の担当をしています。直近は、東京報道グループの防衛省担当記者や八重山支局の記者と連携しながら、日米の島しょ防衛訓練などを取材しました。基地担当だった先輩が同じ政治班にいて、カバーしてくれてとても心強いです。夜遅くまで記事を書くこともあれば、早く帰ることもあります。 基地関係で何かがあれば、県の基地対策課へ行って情報収集をします。また米軍準機関紙で「Okinawa」の英単語がないか目を通すなど、常にアンテナを張っています。簡単に会えない取材相手に会うための待ち時間も多く、大変な面もあります。 一方、取材相手を待った甲斐あって新しい話を聞けて記事としてアウトプットできた時はうれしいです。また書いた記事に反響があった時もやりがいを感じます。 仕事をする上で大事にしていることは、私の役目は「伝える橋渡し」ということです。普段は県や米軍の関係者らを取材相手にしていますが、その取材現場にいない読者に対して、取材した内容を伝えることを常に意識するようにしています。